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善光寺地震と安政の大地震―耐震基準を満たしていれば我が家は倒壊しないと思い込んでいませんか?―


 能登半島地震により被災された皆様には心よりお見舞い申し上げるとともに、1日も早い復興を切にお祈り致します。
 わが国には大地震が連発する地震活動期があります。江戸時代後期はそれが顕著でした。
信州では1847年に善光寺地震が御開帳の期間に発生しました。震央は善光寺の北北東約4㎞、マグニチュード(以下M)は阪神淡路大震災とほぼ同規模の7.4、最大震度7、死者数は1万人前後と推定されています。
 安政年間(1850年代)にはM7以上の大地震が連発し「安政の大地震」と総称されています。中でも次の3つが有名です。1つ目は1854年(ペリー来航の翌年)12月の安政東海地震で震央は遠州灘沖でM8.4、最大震度7。2つ目はその32時間後に発生した安政南海地震で震央は南海道沖でM8.4、最大震度6-7と推定されています。この2つは南海トラフ地震と考えられており、M8.4は善光寺地震の約32倍の規模です。3つ目は1855年11月の首都直下型の安政江戸地震でM6.9-7.4、最大震度6強、死者数7千人以上と推定されています。すなわち、我が国には10年以内にM7以上の大地震が連発し、南海トラフ地震と首都直下型が1年以内に連発した歴史があります。全くもって恐ろしい限りです。
 また、国の耐震基準は「震度6強から7程度の1回の地震で逃げ出すことができて人間の生命が守られる基準」です。つまり、1回の地震で住めなくなる程度に壊れ、余震で倒壊はあり得る基準です。発災時の初期対応の備えのみならず、我が家に住めなくなった場合の備えも早急に考えておく必要がありそうです。